東京御廟 町屋光明寺

コラム

第10回 形からはいる仏教

亡くなった両親の追善供養は分かるけれど、縁を作ってくれたご先祖さまに感謝する
〝報恩感謝〟という考え方をなかなか理解できないという方もいるかもしれません。なかには、葬儀や年忌法要が煩わしいと感じる方もいるでしょう。

では、こう考えてはどうでしょう。
仏さまやご先祖さまと現世に生きる私たちを繋ぐ行為が、墓参りであり、法要だ、と。
語弊があるかもしれませんが、私は、仏教には形から入ってほしいと考えているのです。

位牌の前で念仏を称えてみる。仏壇に手を合わせて仏さまにお願いをする……。継続していくうち、年忌法要で聞くご僧侶の法話の内容がいままでとは違って、不思議とスッと腑に落ちるような瞬間があるはずです。

妙好人(みょうこうにん)という人たちをご存じでしょうか。
妙好人とは、ご僧侶の法話を聞き、念仏を称えるうちにご信心を得た人たちのことです。
江戸時代から明治時代にかけて「妙好人伝」という本がいくつも書かれたほどです。

もともとサンスクリット語だったお経は、漢語に訳されて日本に伝わりました。だから、日本人の私たちが、聞いたり、読んだりしただけではその内容が分かりません。 しかしお経には、ストーリーがあります。信仰や人のあり方、考え方、哲学、観念……を説く法話として、気が遠くなるほどの歳月にわたり、語り継がれてきました。 国家や人の価値観や考え方は時代によって変わりますが、お経や法話には普遍性があります。

はじめは〝報恩感謝〟の考え方が理解できなくてもかまいません。
仏事では、ご僧侶がその時々に合ったお経を読み、法話をしてくれます。
亡き方の仏壇やお墓に手を合わせて、そしてご僧侶の法話を聞く――それが、自分を見つめ直すこと、自分らしく生きることの第一歩になるはずですから。

取材・構成/山川徹

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